お花のお世話

「あ、紺ちゃんがお花をお世話してる」

私は台所で花の水を替えていた。年末に買ってから2週間ももっているカーネーションの小瓶。年明けに買ったチューリップの長い瓶。

夫に「お世話」と言われて、「なるほど、確かにこれはお世話」と思った。カーネーションは手がかからないので朝の水替えだけだが、チューリップは茎が動いたり花びらが開いたりするので、光や温度に気を遣う。

彼はもっぱら花を見る人のほうなので、自分から水替えすることはない。私がお願いして、たまにやってくれるくらい。彼はそのときの自分の行動に、「ぼくはお花のお世話をしてる」という言葉を当てないだろう。あくまでも、「お世話」は私に紐づいている。彼はいつも、私が水替えする姿を「お世話してる」と見ている。

彼と暮らす部屋、彼と囲む食卓に花を欲しがるのは私だ。買ってきて花瓶に活け、いちばん綺麗に見える角度を彼が座る席のほうに向ける。秘密の習慣。「君のことが好きですよ」とか、「ちょっと和んでくれるといいな」と思いながら。「お世話してる」の言葉選びは、そんな私の気持ちを受け取ってくれているからこそのものな気がした。

ある日、水替えからテーブルに戻すところまで、彼にお願いした。私は洗濯をしていた。リビングに戻ったら、テーブルに花瓶が置かれていた。花のベストポジションは私の席のほうへ向けられていた。

26cmの満月

私たち夫婦はパエリアをよく食べる。

始まりは、結婚式の会場を探しに東京へ行ったときだった。手作りの式を屋外で挙げることは決めていたので、農場やキャンプ場をあたっていた。山手線の駅から出て、よくわからずに入った店で食べたパエリア。シーフードのベーシックタイプ。なんだこのおいしい食べものは。インターネットで支店を探した。大阪にはあり、名古屋にはなかった。店長さんに今後の出店計画を尋ねた。「名古屋には数年後の予定です」と教えてくれた。

ドレスとシャツを仕立ててもらいに大阪へ行ったとき。もちろん大阪の支店でパエリアを食べた。他の味には冒険しない。いつもの店のいつもの味。

式の準備はふたりで手分けして進めた。私はディレクションやデザインといった前工程。夫は招待状代わりのウェブサイト構築などの後工程。もはや仕事みたいだった。日が迫ると、ふたりとも懸命に手を動かした。私は装飾や小物を作り、彼はテーブルクロスやガーランド(三角の旗の連なり)の布をひたすら切った。料理に手が回らないとき、デリバリーのパエリアを食べた。あのころ、何度注文したかわからない。

式では料理家さんにケータリングをお願いした。パエリアもその場で作ってもらった。直径1mのパエリア鍋は、都内に2つしかないものの1つをレンタルした。満月の下の、大きな丸いパエリア。

式からしばらくして、デリバリーパエリアの店がなくなった。一大事だ。我が家を支えてきたパエリアがなくなる。まだ名古屋支店はできていなかった。私たちは市内のスペイン料理屋に行き、好みのパエリアを探した。見つからなかった。米の硬さが好みじゃない、通うには不便、味付けが物足りないなど。パエリアならなんでもいいわけじゃない。あの店のものと、デリバリーのものを足して割ったようなものを求めていた。

仕方がないので作ることにした。そもそも結婚式自体がそうだった。手作りしたのは、ゼクシィに載っている式場で「テーブルクロスの色と招待状でおふたりらしさを表現できますよ」と言われ、ふたりで「そんなわけあるかい」とちゃぶ台をひっくり返したくなったのが発端だった。欲しいものがなければ作る。未来も一緒に作る。パエリアも自前で作る。専門書を買ってきて勉強した。シーフードパエリアはたくさんのエビの頭を使ってスープを作る。その作業がやや面倒なことを除けば、パエリアは安く簡単に作れた。試行錯誤を重ね、好みの味を作れるようになった。デリバリーも支店もいらない。

数年後、名古屋の支店はできた。あの店の存在は特別なままだけど、私たちのほうが変化した。パエリアを自分たちで作れるようになっている。店に行けば楽しむ。楽しむが、頭のすみで「そのうちまた作ろ」と考えている私がいる。「おうちのも食べたいなあ」と思っている彼がいる。サイドメニュー含めて、私たちは食べながら分析し、学べるものはないか探す。

先日店に行った数日後、パエリアを作った。サラダ、アヒージョ、バゲット、生ハム、サングリア。材料が余ったので、2日続けてパエリアにした。私たちは結婚式で、満月をつかまえたようなパエリアを食べた。それを26cmに縮小して、今も食べている。

 

 

風呂の蛇

照明、追い焚き、換気扇を消して風呂に入ることがある。しばらく湯に浸かり、青い壁を見ていたら、水道の銀色の蛇口の先で、水滴が蛇のようにすっと流れた。暗くて静かなところ、静止画と思っていた視界にいきなり動画が現れて、びくりとした。

シャワーからぬるま湯を出す。頭と手を動かして髪を洗う。泡をふくらませて体を洗う。先ほどと打って変わってせわしない動画。今度は何も見ていない。もう蛇口のことしか考えられない。なんで蛇?

風呂上がり、化粧水の代わりに辞書へ直行した。英語とドイツ語には雄鶏がいた。オランダ語とロシア語には鶴がいて、フランス語とイタリア語には羊が、アジアには龍がいた!スペイン語には、ライオンと鷲の怪物がいた!

アルキメデスを追いかけて、風呂の外で至るユーレカ。おもしろくてにやける。そろそろ服を着よう。

 

<参考>

各国の「蛇口」を表す言葉。電子辞書 XD-Z9800 内蔵辞書より。

英語:tap、 faucet はいずれも「樽の栓」、cock、stopcock、turncock は「雄鶏」を語義に含む。
ドイツ語:Wasserhahn。wasser = water、hahn = cock。

オランダ語:kraan。crane(鶴)の意味。日本語「カラン」は浴場などの大型の蛇口で、オランダ語から。
ロシア語:кран。読み方は 「クラーン」。オランダ語から来ていて、意味も同じ。

フランス語:robinet の robin が羊。羊の頭の意。
イタリア語:rubinetto。フランス語と同じ。

繁体字中国語(香港、台湾、マカオ):水龍頭。龍や蛇は水神。
簡体字中国語(中国本土、シンガポール):水龙头。龙が龍、头が頭。

スペイン語:grifo。Gryps、ギリシャ神話に出てくる、鷲の頭と翼、ライオンの胴をもつ怪物グリュプスから。

 

台所のクマ

夫がリラックマのパーカーを着ている。胸や背にイラストが印刷されたタイプではなく、リラックマになれるタイプのフリースパーカーだ。フードに目と鼻はない。耳だけがついている。腰の部分には丸くて立体的なしっぽがついている。彼は最近、顔のシミ取りレーザーを受けたので、積極的にフードをかぶる。

台所に、リビングに、クマがいる。電子レンジの前でレンチン待機中のうしろ姿はとてもかわいい。

先日、麻布テーラーに行くことになった。オーダーメイドスーツの店だ。彼のスーツとワイシャツはすべてここで作ってもらっている。出かけるまえ、彼はクマを脱いだ。さわやかなインテリっぽいシャツとセーター、コートに着替えて出かけた。初めて麻布テーラーに行ったとき、粋なスーツを着こなす店員さん相手に恥ずかしがっていた彼はどこへやら。今の彼には、自分のフルセットが麻布テーラー製という自信と、何度もこの店に来た慣れがある。用件は、ズボンの裾のほつれ直し。きりっと、スマートに対応していた。かっこいい。ちなみに彼が肩からかけたショルダーバッグには、リラックマのキーホルダーがこっそりついている。

次の日の昼、台所に行くとクマがいた。ごはんを求めている。「早くちゃんぽんを食べよう」。私は「フードをもう少し深くかぶって」と言い、太陽の射す場所から彼を遠ざけた。正直言って、日焼け止めを塗ればフードをかぶらなくてもいいのである。休日のフードは彼の選択だ。彼はすすんでクマになる。

2枚のワンピース

12月にメルカリで譲ってもらったワンピースの、より新品に近いものをもう1着買った。

1枚目は、出品者いわく、あまり使っていない、傷もない、ただ部分的に壊れたので補修している、とのことだった。かなり安かったのと、出回らない柄だったのとで即決した。届いたワンピースは、裾の一部がほつれていたり、部品が交換されていたりした。それでも、私は購入できたことで十分に満足だった。年末から早速着た。柄もいいし仕立てもいいしで、この服を着ている日はなんだか気分がいい。

年明け、ランチでイタリアンの店に入った。前回訪れたときは、ラストオーダー前で静かだった。客も少なくて、テーブル席に座れた。ゆったりした時間を過ごせたことが再訪の理由だった。今回はランチタイムの最中で、カウンターに通された。カウンターの中には3人の店員がいる。ドリンクを作る人、皿を洗いつつ柔軟に動く人、料理を作る人。ホールの担当は2人。

学生時代、飲食店で働いていたから、ランチタイムの忙しさ、切羽詰まった感じは理解できる。だけど、それにしてもぐちゃぐちゃだった。「コーラが切れた。マシンに補充するのが面倒くさいから、お客さんに他のドリンクにしてもらって」とか「電話で予約を受けたの忘れてた。席、確保してない。やばい。そんな予約は受けてないって言って」などの会話を、カウンターの中でかがんで交わしている。客はペアでの来店ばかりで、カウンターの中でのごにょごにょに気づいていない。私はひとりだったし、椅子が高いしで、ずっと見ていた。ドリンク係がソーサーの上にカップ、その上にドリッパー、ペーパーフィルター、コーヒーの粉を置いた。少量の湯で蒸らすことはしなかった。一気に湯を入れ、5分ほど放置した。お湯が多すぎて、コーヒーはソーサーにどばどばとあふれた。

ふと、「あまり使っていないのに、こんなに壊れているものか?」と、着ているワンピースに思った。毛羽立ちぐあい、わずかな色褪せぐあいも、「あまり使っていない」ではない気がした。

メルカリのアプリを開いたら、同じワンピースが別の出品者から高値で出品されていた。パスタを待っているあいだに落札した。パスタが来て、食べ始めてからも、カウンターの中の混沌はひどくなっていく。店員は、おしゃれに設計された空間のバックヤードで何かを探していた。目当てのものが見つかったあとも、扉は開けっ放しのままだった。きのこやにんじん、玉ねぎの段ボールが雑に積み上げられ、崩れそうだった。ごまかしにごまかしが重なる。気分が悪くなってきて、半分だけ食べて帰った。

2枚目のワンピースは状態がいい。商品説明と実際のものに乖離がない。1枚目はやはり使い込まれていた。「愛着をもってたくさん着たものです」と書かれていたほうがよかった。どちらも大切にしようと思う。

Perfect Days?

ある作品の主人公の性質や生活が、私のものとかなり似ているとき。
作品に触れた人たちが、「こういうふうに生きたい」「視点がおもしろい」「美しい」といった言葉で、おおむね高評価をくだすとき。
別の選択肢があったわけではなく、こう生きざるを得ないだけなのにと思う。
私は自分のことや今の生活がわりと好きな一方で、高評価をくだす人たちに嫉妬する。そちら側に行きたいと思う。

壊れたシャープペンシル

1月4日、名鉄で金山駅に向かっていたら、神宮前駅で人がどっと乗り込んできた。しばらく考えて、熱田神宮に参拝した人たちと、セントレア空港からの人たちだと気づく。

普通の平日だと思っていたのは間違いで、世間ではお正月の延長だった。普通の平日の静かな感じが好きなので、少し残念だった。とはいえいつもの平日とは違う平日を楽しもうと思った。

年末、シャープペンシルが壊れた。同じブランドのものを買いに行ったものの、栄でも名駅でも売り切れだった。そうか、今日は手に入らないのか。気が抜けて、あたりを見回す。文房具、その中でも高級なものを取り扱うカウンターには、中学生くらいの男子が集まっていた。財源はお年玉だろう、高いシャープペンや本革のペンケースを買い求めていた。

私はお小遣いを必死で貯めて、壊れたあのシャープペンを買いなおすだろうかと考えた。シャープペンにしては高い。それでも好きだったから、1本目が壊れても2本目を買った。3本目はおそらく円安の関係で、2000円くらい高くなっていた。3本目、買うか? また壊れるのに? でも好きだー。自問しながら帰った。なんだか恋愛の悩みみたいだと思った。だめな人を信じてお金を払い続けるのか? 

名鉄名古屋駅は混雑していた。名古屋に帰省した人と、名古屋に海外から来た人と、これから名古屋を出る人が、スーツケースを手に歩いていた。「何番線だっけ」「次かな」「間に合わなかった」「急いで」などと言う人たちの中で、なにも考えずにすーっと、いつもの電車のレーンに並んだ。周りの人たちが非日常を生きるなかで、私はいつもどおりの日常を送っていると思った。名古屋に住むようになってから、解は電車の風と一緒に来ることが多い。

シャープペンのメーカーを変えた。差額で寄付をした。