ごんちゃん

高校時代、いちばん仲良しだった友だちはごんちゃんだ。ごんちゃんちの犬の名前が「ごん」で、それを飼っている彼女も「ごん」になったらしい。高校に入る前からごんちゃんはごんちゃんだったらしく、ごんちゃんはごんちゃんと呼ばれることに慣れていた。

私たちは私立高校の特別進学コースにいた。他のコースの生徒が部活を終える時間に補講が始まった。「部活帰りにファミレスのドリンクバーでだらだら恋バナ」なんてしたことがなかった。帰る時間は遅い。家の方向が同じだった私たちは、よく一緒に帰った。

高3の終わり、進路が決まった。ごんちゃんは九州に残り、私は東京に出る。出発までのあいだに、連れ立ってピアスを開けることにした。大きな商店街を曲がったところにある病院。あれは何科だったか。ごんちゃんが先に開けてもらった。いつものように平然としていた。そうか、そんなもんなのかと気を緩めて臨んだら、しっかり痛かった。ごんちゃんはすごい。

あの学校で、私たちは勉強漬けだった。他のコースが総出で体育祭をしている最中に、私たちは模試を受けていた。文化祭の出しものは、「教育的に意味があるようなもの」として先生が選んだ、やる気の出ないつまらないものだった。小テストが毎朝あった。英語と数学と国語のテストが毎月あった。順位が貼り出された。勉強の合間で起こったことやその機微を、私はもうあまり覚えていない。

誰もいない教室でごんちゃんといた、土曜日の午後。ごんちゃんは教壇に立って、私に向かって何かを話したあと、泣き始めた。私は何かを言ってなだめた。いつも平然としている口の悪い人が、こんなに堰を切ったように泣くことがあるのかと驚いた。私たちは、自分や友だちのことよりも勉強のことだけを考えさせられるような場所に来てしまったんだと気づいた。

結婚式以来、久しぶりに連絡をとった。ごんちゃんはごんちゃんだった。求めてないのに自撮りをくれた。私も夫との写真を送った。「歯の矯正をしてるんだね!私もやったよ」と返ってきた。美容の話になった。私がやりたかったあれこれを、ごんちゃんが先に済ませているとわかった。ピアスのときの平然とした顔が蘇ってきた。

とうの昔にふさがっていたピアスの穴を開けなおした。これは地元にいたときに開けた穴と同等のものにする。これはごんちゃんと開けた穴。そうLINEしたら、ごんちゃんは「私も開けなおそうと思ってた!」と言った。やった。開けなおしは私の勝ち。

風物詩

大学生の人たちがXで、「卒論が終わった!」「春休みだ!」と喜んでいる。その一方で、私の家庭教師の先生は「採点が終わらない」と冗談っぽく嘆いたり、来年度のシラバス作りに追われたりしている。先生に授業してもらう関係は、この1月でまる1年になった。大学生の人たちが忙しそうにしているのを見ると、「そろそろ先生の余裕がなくなる時期だな」とわかるようになってきた。

先生はミュージシャンでもあるので、忙しさのすべてが大学によるものではない。10コマ以上の授業を担当しているのも先生の選択だ。とはいえギャップがおもしろい。「もう終わった」とタスクを手放した人たち。提出物を受けとって忙しくなる人たち。それを見守る私。

口止め

えびせんの袋に口止めシールがついていた。
ぱっと「口止め」だけが目に入ったばっかりに、うっかり「食べたことをえびせんに口止め?」っていう問いを経由したんだ。
と夫に話したら
「罪悪感があるってことだな」と返された。

ひとりじめするはずだったえびせんを少し分け、共犯にした。

 

「最後に質問はありますか?」

「最後に質問はありますか?」
「このあたりでおいしいひつまぶし屋を教えてください」

学生時代、インターンでマスメディア業界の中を見て、「私はモノを作る会社に入りたい」と思った。誰かが作ったモノの情報を扱うよりは、「当社はこれを作っています」というふうに言葉をつかえる人になりたかった。メーカーならどこでもよかったので、視界に入るものの製造元を片っ端から調べ、エントリーした。

時代のせいなのか、自分のせいなのか、私は就活に苦戦した。たくさん落とされて、愛知の会社だけが残った。最終面接で私は笑われた。何を話しても笑われた。バカにはされてなさそうだったが、意味がわからない。ずっと笑われるので、「落ちたな」と思った。最後の質問を促されたとき、ひつまぶしの店を聞いた。「もう愛知には来ないだろう。記念に食べよう」と思ったから。面接官たちはあいかわらず笑っていて、丁寧に教えてくれた。

教えてもらった店で、泣きながらひつまぶしを食べた。手持ちのカードがなくなってしまった。またエントリーからやりなおさないと。あーあ。ここ、あんまりおいしくないじゃん。

お茶漬けのネギを振りかけているときに、人事から電話がかかってきた。内定が出た。初期から一貫して最高評価だったと知らされた。笑われていたのはよい意味だった。

「10分くらい、今後の手続きの話をしていいですか?」と聞かれた。「よくないです、かけ直します」と言って電話を切った。熱い出汁をかけてお茶漬けを食べた。今度は味がした。涙はわさびのせいにした。

私たちの協働

友人のウェブサイトと、友人と一緒に始めるプロジェクトのウェブサイトを作っている。

ウェブサイトに使う写真は、夫に撮ってもらう予定。彼はカメラが好きで、バイトも写真屋だったこともあり、撮るのがうまい。証明写真はともかく、デザインワークで使う写真にはディレクションが必要なので、私がディレクター兼カメラアシスタント、彼がカメラマンのタッグを組む。ディレクターだけだと技術がない。カメラマンだけだと何をどういう意図で撮っていいのかわからない。

私はプロジェクトを企画して彼と協働するのが好きだ。補完関係は私たちの日常に当たりまえにあるけれども、プロジェクトのときの彼はいつにもましてかっこいいのだ。スイッチが入ったときの鋭さ。私との協働だけで出しているであろう柔らかさ。仕組みやコツの説明をいとわない親切さ。好きなものへの愛情を隠さない感じ。「ぼく、すごいでしょ」と技術力を自慢してくるユーモア。

彼のそばにいるには、いつまでも同じ自分でいてはいけない。彼が日々、コンピュータやカメラ、音の知識をアップデートしているように、私も新しいことを学び、挑戦し、彼と協働できる人でいなければならない。私が彼との協働を楽しいと思っているように、彼も私との協働を楽しいと思ってくれていたらいい。

かつて愛された

辞書はわからない言葉を引くためのものだけど、意味が予想できていて、あえて引くときもある。文章を早く読むなら知らない単語の意味の推測は不可欠で、推測で事足りるならいちいち調べなくていいんだけど、カフェでお茶やインテリアを楽しむのに似て、辞書に書かれてあることをじっくり読みたいとき、しばらくそこに留まりたいときがある。

preloved

以前愛された、だから、「中古」かな。当たり。「以前は人のものだった」の意味で、家やペットに対して。

婉曲的で、あまり使われない言葉。「中古」の類語で引いても、出てこない言葉。偶然、辞書の隙間に入り込んだみたい。

珍しく遅くまで出歩いた日、ネオンや提灯で光る町の中、もう誰も住んでいない家を見かけた。起き抜けに窓を開けたり、部屋のすみずみを掃除したりする誰かにprelovedされたんだろうと、信号待ちの間だけ思った。