誕生日の魔法

誕生日を変えた。

もちろん公的には変えられない。
気持ちを変えた。
4月生まれから、3月生まれになった。

あの母から生まれた嫌悪感と、幼い頃の事件が重なって、誕生日は嬉しくない日だった。
そこに数年前、父の命日が加わった。
毎年2月頃から体がこわばり始め、緊張し、嫌な記憶のフラッシュバックに悩むことになった。
夫が旅行やプレゼントを用意してくれていても、パニックになって、台無しにしてしまうことが多かった。

今年も同じで、3月下旬がひどかった。
もうだめだと思った。
泣く私をなだめようと、夜中、夫がずっと抱きしめてくれていた。

寝るには微妙な午前3時、「夫に抱きしめられて生まれたことにしちゃおう」と思いついた。
今日が誕生日。爆誕日。

夫はこのアイデアにたいそう賛成してくれて、1日中「おめでとう」と言ってくれた。
夕方には名古屋駅に行って、ホールのフルーツタルトを買ってくれた。
誕生日に楽しい気持ちになったのは初めてだった。
魔法みたいに、4月が怖くなくなった。

4月に入ってから、大学のゼミのグループLINEで打ち明けた。
でないと、旧誕生日におめでとうLINEが来ちゃうから。
軽快な感じを装ったけど、緊張した。
「変な人って言われるかな」と思ったけど、よくよく考えてみれば、私は学生時代から変人枠。
全員分の既読がついてから、しばらく時間が経った。
ゆっくりと返信が届いた。
「話してくれてありがとう。教えてくれて嬉しい。爆誕おめでとう」
要約するとあっさりに見えるけど、みんな言葉を選んでくれて、その場しのぎな感じじゃなくて、ぐっときた。

パニックが消えた一方で、無意識下での警戒が続いていたのか、4月はうまく食事できなかった。
センサーがバグっていて、空腹を感じられない。
こういうことは過去にもあったので、夫がさくさくと料理をし、あるいは出来合いのものを買ってきて、食べさせてくれた。
味はしなかった。
それをわかったうえで普段通りに振るまう彼を見ていた。
私はきっと、4月まるまる、もくもくと彼の笑顔を食べていた。
明るい力を分けてもらって、消化して、また笑えるようになるために。

5月になった。
結局、4月はパニックが起こらなかった。
誕生日変更作戦はとても効いた。
乗り越えたことと、受け入れてくれる人たちがいることが、小さな自信になった。
来年もうまくやれる気がする。

あーーー。よかった。